テレビ中継で子どもの頃から見聞きしている越中先生の解説が始まると「ああ、今年もくんちの季節だな~。お盆だな〜」と感じます。いまや越中先生の実況解説は長崎県民の風物詩。肩苦しくなりがちな伝統芸能やお盆の精霊流しのことを、親戚の誰かを思わせる越中先生のあの親しみやすさで、よりわかりやすくより身近に感じさせてくれているのです。 初めてくんちのテレビ解説をされたのは昭和32年だったそうで、今年でなんと!長崎くんち解説58年、精霊流し解説も40年。ご本人曰く「当時の市長が『長崎を観光都市にする』と言われるから、それじゃあと一杯飲んだ気分で面白おかしゅう解説しました。そしたら「バカじゃないか!」て先輩方に怒られた。「そんなことじゃいかん、ちゃんと言え!」てね。でも、くんちというのは難しくて学問的なことを言うても面白くなかとよ。だから、ある程度は面白う言うちゃらんとね。諏訪神社での奉納は神事やけど、公会堂前広場の解説は観光客向けのイベントですから」。 単に博識に留まらず、先生独自の物事に対する理解力や想像力、それにお茶目なお人柄が結びついてなんとも言えない味のある解説になっています。

それではみなさん、エッチュウ先生の「長崎くんち」四方山話をお楽しみください。

2015年7月2日取材

エッチュウ先生のプロフィール

越中哲也/地方史研究家・長崎歴史文化協会理事長。1921年長崎に生まれる。龍谷大学文学部卒。復員後、長崎市立博物館学芸員(後に館長)。「長崎くんち」「精霊流し」のテレビ実況解説を長年にわたって担当。その愉快なキャラクターで広く県民に親しまれている。

長崎放送からはこんなユニークな感謝状も

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「長崎くんち」が始まった裏には…


長崎の氏神である諏訪神社の例大祭「長崎くんち」は1634年に始まりますが、なぜ始まったかというと「当時は、みんなが神社にお参りに来なかったからよ」とエッチュウ先生。実は長崎の町はキリシタン大名・大村純忠がイエズス会に寄進したことから開港当時の長崎の町は、カトリック一色の時代でしたので、寺社の全てが廃されていました。それで「キリシタンになれば町の人たちは南蛮貿易の甘い汁が吸えた」のは事実です。しかし徳川幕府のキリスト教禁止令によって長崎の町にはお寺や神社が建てはじめられたので、貿易商人たちの立場は微妙でした。「神様が戻ってきたからといって、すぐにお参りに来る人はいなかった。そこんところは曖昧にしておかないと、もうからんのよ。長崎人は貿易優先だからね。そこで、長崎奉行の肝いりで始まったのが、くんちというわけ」。町人たちは当番制で奉納踊の献上を義務付けられることにより、全員が諏訪神社の氏子となったのです。

長崎代官も実はカトリック信者だった…


「長崎くんち」はカトリック信者だった長崎の町人たちを改宗させるために始まったお祭ですが、南蛮貿易との兼ね合いで幕府も当初は徹底したキリスト教弾圧策をとりませんでした。表向きはキリスト教禁止でもそれだと貿易にならんから、そこは適当にしたんでしょうね。秀吉の時代もそう。取り締まる側の人間が実はキリシタンだったという史実がある」。ええっ、エッチュウ先生それって本当ですか?

歴史にはね、表と裏があってこれは表立っては言えないことだけど、秀吉の命で26聖人が長崎で殺された時の長崎代官がカトリック信者だったのよ」。その名は村山等安。もとは海外貿易で財をなしたやり手の商人で、イエズス会で洗礼を受けてアントニオと名乗っていたそうです。「その後、等安は末次平蔵に密告されて江戸で処刑され、平蔵がその後釜にすわった。長崎代官は海外貿易の利益が懐に入ってくるおいしい役職だから、狙っていたんでしょうね。実は彼もキリシタンだったけれど、自分は改宗しましたから、ってね」。すごい裏話…。

 

長崎人の性格は「竃銀」に由来する?


江戸時代に海外貿易港として栄えた長崎の町は、幕府の直轄地として長崎奉行によってしっかりと管理統括されていました。

町割りをして各町にくんちの奉納踊を義務づけ、みんなを諏訪神社の氏子にしてしまったのもそのひとつ」。ですが、管理統括の象徴ともいえる長崎ならではのシステムに「竈銀(かまどぎん)」があります。奉行所に入ってくる海外貿易の利益の一部を町の全世帯に年2回配分するといものでおれの言うことをきいたら、利益の何割かをおまえたちにやるぞ、ってね。年にいっぺん踏み絵を踏みなさい、町の番をしなさい、宿泊場所を提供しなさいなどそれぞれの町に役割を担わせたのよ」。エッチュウ先生、それってボーナスみたいでうれしいすね。「そうよ、海外貿易の統制をとるためにそうやって人口も管理していたのよ」。そのおかげで一般庶民もシャカリキに働かなくても何とか暮らせたのだとか。一般的に長崎人はガツガツしたところがないとよくいわれるそうですが、それは江戸時代の「竈銀」生活に由来する―そんな見方もあるらしいですよ。

平成27年 踊町と演し物

■諏訪町/傘鉾 龍踊

■西古川町/傘鉾 櫓太鼓・本踊

■新大工町/傘鉾 詩舞・曳檀尻 

■賑町/傘鉾 大漁万祝恵美須船

■榎津町/傘鉾 川船

■新橋町/傘鉾 本踊・阿蘭陀万歳

■金屋町/傘鉾 本踊