長崎の風景を絵はがき感覚でパッケージにした

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長崎くんち

本石灰町『御朱印船

クルス4枚入¥324 (税込)

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令和5年取材

豪商・荒木壮太郎とアニオーさんの物語

本石灰町 御朱印船 もとしっくいまち ごしゅいんせん


本石灰町のある思案橋界隈と言えば長崎随一の繁華街ですが、かつて本石灰町はその町名からもわかるように、東南アジアから輸入された石灰が荷揚げされた場所だったとか。当時石灰は油の精製に使われていたそうで、なるほどありました!電車通りをはさんで向かい側に油屋町が。町名が物語る長崎の歴史です。(2023年8月取材)

16世紀末から17世紀初めにかけて主に東南アジアとの交易を行った御朱印船。荒木宗太郎は秀吉に朱印状を授けられて活躍した貿易商でした。

本石灰町自治会長の坂本隆司さん(右)「この10年間の思いをぶっつけます!」。長采(総監督)の原田伸一さん「皆でくんちを楽しみたいと思います」。


 

御朱印船貿易の唯一の

拠点だった長崎

御朱印船といえば鎖国以前、秀吉、その後は徳川幕府からの海外渡航許可証(朱印状)を得て、主に東南アジア方面との交易を行った船。江戸時代に入ってからは長崎がその朱印船貿易の唯一の拠点となり栄えました。本石灰町の『御朱印船』は、長崎の朱印貿易商として実際に活躍した荒木宗太郎とその妻ベトナム王女アニオーさんの晴れやかな輿入れの行列と、長崎を目指す御朱印船の大航海を再現した演し物です。

 

アニオーさんお輿入れ行列の

豪華さは語り草に

荒木宗太郎は秀吉が最初に朱印状を授けた豪商のひとり。ベトナム王の信任厚く、王族の娘をめとったことでその名を馳せたそうです。妻を伴っての長崎凱旋時の輿入れ行列は華やかで、後々まで地元の人々の語り草となったとか。本石灰町ではその逸話にちなんで昭和45年から『御朱印船』を奉納しています。新型コロナなどの影響でくんちが3年連続で中止しとなり10年ぶりとなる今回の奉納では、船を曳き回す根曳衆の大半が入れ替わるという事態となりましたが、稽古場の雰囲気は実になごやかでした。

船の舳先(へさき)に鎮座するのは、子どもたち扮する宗太郎と ベトナム王女。王女は地元の人から「アニオーさん」と呼ばれ 親しまれていたそうです。


 

テーマは「必笑」。

皆でくんちを楽しもう!

「稽古も8割方仕上がって、ここに来てようやく皆に笑顔が見えるようになってきました。体力面でも自信がついてきたと思います」と長采(総監督)の原田伸一さん。楽しいところに人は集まってくる、と語る原田さんが今回『御朱印船』のテーマに掲げたのが「必笑」。「今はもう、辛く厳しい稽古に耐えてという時代ではありません。だから今回のメンバーが7年後の奉納にもまた出たいと思ってくれるような、そんな『御朱印船』にしたかった。皆でくんちを楽しまないと」と。

 

 

荒木家の墓に参り、

奉納の無事を祈ります

宗太郎と共に日本に渡り、その後の幕府の鎖国政策により出国を許されなかったアニオーさん。夫よりも10年ほど長生きしてはるか遠いこの異国の地で生涯を終えました。今は市の繁華街にある大音寺の荒木家のお墓に眠っています。10月の本番を控えた9月半ば、稽古を打ち上げた本石灰町は船回しをする根曳衆と宗太郎・アニオー役の子どもたちうち揃って大音寺へお参りに。荒木家の墓をきれいに掃除して、奉納の無事を祈ります。

8月盆明けのうだるような暑さの中、諏訪神社で行われた日中の稽古風景。 熱中症対策も万全です。


『御朱印船』のアニオー行列には長崎在住のベトナム人の皆さんも参加して 奉納を盛り上げます。

宗太郎とアニオー姫がひっそりと眠る大音寺の荒木家のお墓。本石灰町では奉納前のお参りが習わしとなっています。