長崎の風景を絵はがき感覚でパッケージにした

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“長崎景観クルス
長崎くんち

紺屋町『本踊

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平成30年奉納

染め物職人の暮らしぶりを再現しました

紺屋町 本踊 こうやまち ほんおどり


もう一度、紺屋町からくんちの奉納を! 当時働き盛りだった町内の団塊世代の盛り上がりで、わずか70世帯足らずの紺屋町が平成2年(1990)、長いブランクを経て踊町に復帰しました。そこから数えて今年が5回目の奉納。演し物はくんちの華といわれる日本舞踊「本踊」です。2018年8月取材)

写真提供 長崎県観光連盟
写真提供 長崎県観光連盟

昔は「曳段尻」「川船」を

奉納していたことも

明治・大正時代は紺屋町も大きな町で、「曳段尻」「川船」などの演し物を奉納していたこともあったそうです。しかし、太平洋戦争末期の強制撤去により戦後は町域が狭められ、くんち奉納も辞退が続きました。紺屋町通り自治会長の松下清さんは団塊世代で「小さい頃からくんちとはずっと縁がなくて、寂しかったですね」と。

 

小さな町内に日舞や地方(じかた)のお師匠さんが

 

「そんな松下さん世代が40代にさしかかる頃、仲間たちの間で踊町復帰の機運が高まります。そこから町内で積み立てをして運転資金を貯め、「本踊」奉納で踊町に復帰。この小さな町に日舞や地方(じかた)のお師匠さん、くんちに欠かせない傘鉾をつくる職人までもが住んでいたという恵まれ過ぎるほどの好条件にも助けられました。

 

写真提供 長崎県観光連盟
写真提供 長崎県観光連盟

 見どころは白い布を

なびかせる「布さらし」

 

今回の「本踊」の題目は「稔秋染耀紺屋彩」。かつて染め物で栄えた町にちなんで、染め物職人の暮らしぶりを再現しています。一番の見せ場は踊り手たちが両手に白い布を持って空中になびかせて川の流れを表現する「布さらし」。中島川沿いの紺屋町では、昔はこのような風景が日常的に見られたのでしょうね。

 

「本踊」はくんちの起源、

本流なのです

 

踊町に復帰後、次は勇壮な曳き物をという声も上がったそうですが、住民に新たな負担をかけずに無理なく奉納を続けていきたいという思いがあります。それに地元ではくんちの本踊が楽しみという年配者も多いとか。「踊りはいわば、くんちの原点。今ではみな『これがくんちの本流である』という意識を持って本踊を奉納しています」。

紺屋町通り自治会長の松下清さん。「小さい町だから夜警も精霊船づくりもみんなでやる。結束は強いですね」。
紺屋町通り自治会長の松下清さん。「小さい町だから夜警も精霊船づくりもみんなでやる。結束は強いですね」。
踊町復帰で親子三代でくんち奉納に参加。松下さん(右)、若いです。
踊町復帰で親子三代でくんち奉納に参加。松下さん(右)、若いです。