長崎の風景を絵はがき感覚でパッケージにした

「長崎景観クルス」とても好評です。
“長崎景観クルス
長崎の教会

大浦天主堂

クルス4枚入¥324 (税込)

148×100×20mm ちょうどハガキサイズです。

 


 

キリシタンたちの受難の歴史を物語る

国宝

大浦天主堂

おとなりの「グラバー園」と共に長崎の人気観光スポットとして知られる「大浦天主堂」。未だ禁教令下の幕末1865年に外国人のためのカトリック教会として居留地の南山手に開かれました。ところがその直後、ここで歴史的な出来事が起こります。それが、世にいう「信徒発見」。長崎の浦上地区の住民たち十数名がフランス人神父に自分たちがキリシタンであることを告白したのです。

大浦天主堂創建は、厳しいキリシタン弾圧の中で

潜伏キリシタンに向けられたメッセージでもあった。

 

教会正面に掲げられた「天主堂」の文字に込められた思いとは? 1597(慶長元)年、豊臣秀吉の命によって長崎でカトリック信徒と宣教師の26人が処刑されました。この事件はヨーロッパにも広く伝えられ26人は1862年(文久2年)聖人に列せられます。幕末の長崎港開港と共に建てられた大浦天主堂(正式名称「日本二十六聖殉教者天主堂」)はその日本二十六聖人に捧げられた教会でした。プチジャン神父はそんな殉教の地だからこそ、今でもカトリック信徒が密かに信仰を守り伝えているのではないかというわずかな期待のもと、教会の正面に日本語で“天主堂”という文字を掲げたそうです。

宗教史上の奇跡として世界に衝撃と感動を与えた

大浦天主堂での「信徒発見」。

宗教史上の奇跡として世界に衝撃と感動を与えた「信徒発見」。果たして、教会が建立されてまもなく浦上の住人たちがやって来て神父に信仰を打ち明け、二百数十年間も信仰を受け継いできた「潜伏キリシタン」の存在が明らかになります。これが1865年の「信徒発見」と呼ばれる歴史的な出来事。その後、プチジャン神父は長崎周辺の各地でも長年潜伏していた多くのキリシタンたちの存在を確認。このニュースを受けた教皇ピオ9世は「東洋の奇蹟」と大いに感激したといいます。しかし禁令下での告白はさらに激しい弾圧を引き起こし、西欧諸国の圧力でようやく禁令が解かれたのは1873(明治6)年のことでした。

「信徒発見のマリア像」と「日本之聖母」

大浦天主堂の二人のマリア。

二十六聖人に象徴される殉教、禁教令下での長い潜伏と迫害―。大浦天主堂は日本のキリシタンの長く苦しい歴史を物語っています。その歴史の語り部ともいえるマリア像がふたつ。そのひとつが堂内に向かって右の小祭壇にある『信徒発見のマリア像』で、まさにこの像の前で世界宗教史上例のない出来事は起きました。入口正面の白いマリア像はその奇跡とも言える出来事を記念してフランス本国から贈られたもので、プチジャン神父が『日本之聖母』と命名したそうです。

▲信徒発見のマリア像

▲日本之聖母


日本に現存する最古の教会で、

最古の西洋建築でもある大浦天主堂は、国宝です。

ユネスコの世界遺産(文化遺産)に認定されました

大浦天主堂は 日本に現存する最古の教会、最古の西洋建築でもあります。西洋建築としても最古で、1933(昭和8)年には旧制度下の国宝に指定され、戦後の1953(昭和28)年に改めて国宝に指定されています。西洋建築の国宝指定は現時点では大浦天主堂と東宮御所しかないそうです。また、2007(平成19)年にユネスコの世界文化遺産暫定リストへ掲載が決まった「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する文化財のひとつなんですよ。

 


キリシタン資料室

天主堂の右奥に建つ木造三階建ての建物は、キリスト教禁令廃止を契機にプチジャン神父が日本人聖職者育成を目的に設立した「旧羅典神学校現在はキリシタン資料室として開放されている。国の重要文化財に指定されており、長崎に現存する最高レベルの洋風建築。

 


〒850-0931 長崎県長崎市南山手5番3号  TEL : 095-823-2628  FAX : 095-827-5452

大浦天主堂ホームページ


長崎・西坂の丘

「日本二十六聖人」が殉教した西坂の丘に建てられた「日本二十六聖人記念碑」。カトリック教会の公式巡礼地です。

二十六聖人の殉教以降も多くの人々がここで処刑されました。今は公園として整備され、昭和25(1950)年にはカトリック教会の公式巡礼地に定められています。二十六聖人に捧げられた「大浦天主堂」はこの西坂の丘の方角を向いて建てられているのです。
長崎県長崎市西坂町7-8

大浦天主堂から車で12分  JR長崎駅から徒歩5分

2014年7月記

 


「クルス」の十字架は…

「クルス」にデザインされている十字架は、「島原の乱」の主導者・天草四郎の刀の鍔(つば)の模様がモチーフ。「花十字」と呼ばれるその紋は、潜伏キリシタンの象徴で、キリシタン墓碑にも刻まれています。