長崎の風景を絵はがき感覚でパッケージにした
「長崎景観クルス」好評です。
“長崎景観クルス”
長崎くんち
油屋町『川船』
クルス4枚入¥324 (税込)
148×100×20mm
ちょうどハガキサイズです。
平成28年取材
茶貿易で活躍した女傑・大浦慶ゆかりのまち
油屋町 川船 かわふね
長崎には歴史上の人物ゆかりの地があちこちにあります。その名のごとく、かつては油屋が軒をつらねていたというこの町ゆかりの人物は、龍馬など幕末の志士たちを支援したことで知られる大浦慶。お茶貿易で莫大な富を得たお慶は、もともとは老舗の油商人でここ油屋町に立派なお屋敷を構えていたそうです。(2016年7月取材)
大浦慶の居宅跡のすぐそばでテーラーを営む油屋町の自治会会長・野口哲男さんによりますと、油屋町は以前は「本踊」を奉納していたそうですが、野口さんたちが「僕らも参加したい!」と声をあげ、昭和48年に多くの人が関われる曳き物「川船」に変更。それからというもの、みんなのおくんち熱がヒートアップ。野口さんの息子さんに至っては、7年ごとの奉納のたびに仕事を辞めて東京から帰郷し、6月1日の小屋入りからくんち(10月7~9日)後の花御礼までどっぷりおくんち浸けの日々なのだそうです。
自治会会長の野口哲男さんと副会長の松尾小太郎さん
油屋町が「川船」を選んだのは、かつて町内を流れていた玉帯(たまおび)川にちなんでのことです。なぜかつてかといいますと、戦後になって川に蓋がされてしまったから。現在はその上を路面電車が走っています。実はこの玉帯川にかかっていたのが、丸山へ行こうか行くまいか思案したというかの有名な「思案橋」。下流には出島があり、鎖国時代には丸山遊女がこの川を舟で下ってオランダ屋敷へ通っていたというエピソードも残っています。
「川船」を奉納する町は油屋町を入れて全部で7カ町あります。つまり毎年どこかの町が奉納している人気の演し物ですが、「同じ『川船』といっても、実は囃子から何から全部違う。うちの自慢はやっぱり船歌でしょうね。ほかにはないですから」と野口さん。“船は逆まく 流れを上る あれは油屋 川船じゃ”“錦おりなす 玉帯川に 今日も船頭の 櫓がはずむ”という油屋町自慢の船歌を作詞作曲したのは、自治会副会長の松尾小太郎さん。本業は米屋さんだそうです。
「川船」では船頭が網を打って、獲った魚を川をさかのぼって諏訪神社の神様に献上するという筋立てです。踊り場は川面で、船を曳き回す男衆はさかまく波。だから、彼らの衣装には波の模様が描かれています。子ども船頭さんは船を降りても地面(川面)に足をつけません。特に油屋町ではくんち期間中ずっとその掟が守られているそうで、自宅を出てから帰宅するまで子ども船頭さんの移動はもっぱら「ずっきゃんきゃん」。長崎の方言なんですが、つまりは肩車をしてもらうんですね。