長崎の風景を絵はがき感覚でパッケージにした
「長崎景観クルス」好評です。
“長崎景観クルス”
長崎くんち
丸山町『本踊』
クルス4枚入¥324 (税込)
148×100×20mm
ちょうどハガキサイズです。
準備中▶︎
令和5 年取材
花街の心意気をお見せします!
丸山町 本踊 まるやままち ほんおどり
江戸の吉原、京の島原と並ぶ三大花街の一つとしてその名を馳せた長崎の丸山。1642年、それまで市中に散在していた遊女屋を官命によって1カ所に集めたのがそのはじまりとか。今でも丸山町をそぞろ歩くと花街華やかりし時代の面影が。(2023年8月取材)
この日は諏訪神社での初めてのお稽古。10月7日の本番まであと1カ月!
丸山町自治会長の山口広助さん。
「本踊りを奉納する踊町が3つもあるのはこの年回りだけ。
日本舞踊の魅力に触れる絶好のチャンスです!」
花柳孝光央師匠。
「本踊りを奉納する3つの踊町のテーマが今回は和・華・蘭とバラエティ豊か。丸山町は『うかれ唐人』で楽しく元気な踊りをお届けします」。
花街丸山といえば丸山町と寄合町を合わせたエリアを指すのですが、この2町は長崎くんちとは浅からぬ縁があります。というのも長崎くんちは1634年に諏訪神社の秋の大祭で、2人の遊女が小舞を奉納したことがそのルーツとされているからです。その後、長崎商人の豊富な財力で、各踊町競い合って趣向を凝らした演し物を奉納するようになりますが、いつもくんちの中心にあったのは花街丸山の本踊でした。
長崎くんちでは踊町の数が多いため、全体をグループ分けして輪番制で奉納を続けてきました。現在のように7年1巡となったのは1672年から。つまりそれぞれの踊町にとっては7年に1度の奉納ですが、丸山・寄合両町は別格。くんちの露払い役として毎年の奉納が伝統となっていました。それが、明治以降は隔年になり、そして昭和の高度成長期に入り両町共に奉納を辞退する事態に。花街の衰退…時代の流れです。
丸山町が奉納を辞退してから時を経ること41年。平成18年(2006)に「丸山町、踊町に復帰!」という嬉しいニュースが飛び込んできます。長年のブランクを跳ねのけ、再び組織を立て直して踊町に返り咲くことの困難さは想像を絶するものがあります。その中心となって奔走したのが丸山町自治会長の山口広助さんです。「やっぱり丸山町がおらんと、本当のおくんちじゃなか!」。復帰当時、他の踊町のみなさんからかけられたこの言葉が今でも心にしみます。
丸山町の今回の演目は60年ぶりの「うかれ唐人」。これは阿茶(唐人)さんが、丸山の芸妓たちと戯れる楽しい踊りで、戦後、新橋町が「阿蘭陀万歳」を大ヒットさせたのに刺激を受け、丸山町が放った渾身の自信作。演じるのは長崎検番の芸妓衆です。実は山口さんは老舗料亭の御主人。「今年は踊町6カ町のうち3カ町が本踊を奉納します。この機会に日本舞踊の奥深さに触れて、丸山の料亭文化にも興味を持っていただけたら」と。自治会にとっても花街の活性化は大きな課題なのです。
丸山町復帰時にシャギリの頭領を務めた山田運三さん。「稽古始めの前夜は興奮して一睡もできなかった。
こんなことは長いシャギリ人生の中でも初めて」と。現在は長崎シャギリ組合会長。
「料亭青柳」「梅園身代り天満宮」など
歴史を感じさせるスポットがあちこちに
丸山町は「長崎検番」のお膝元。前を通ると三味線の音が…
芸妓がデザインされた丸山町のTシャツ。幻の奉納となった「平成二年」の文字が。