長崎の風景を絵はがき感覚でパッケージにした

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長崎くんち

万屋町『鯨の潮吹き

クルス4枚入¥324 (税込)

148×100×20mm ちょうどハガキサイズです。

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令和5 年取材

吹き上がった潮が踊り馬場をぬらします

万屋町 鯨の潮吹き よろずやまち くじらの

中島川下流にあって船宿が多く、そのために多種多様な商家・商店が集まったことから「万屋町」。川向うに魚市場ができてからは、魚問屋も建ち並んで栄えたそうです。『鯨の潮吹き』は江戸時代から続く伝統の演し物で、シーボルトが著した『日本』の挿絵にも登場しています。(2023年8月取材)

鯨の骨組みは竹、皮は黒繻子。奉納の都度作り替えられるので、今回の鯨はちょっと太り気味?みたいなこともあるのだとか。諏訪神社での稽古風景。

万屋通り町会の藤野為信会長(中)と万屋町くんち奉賛会の吉田徹会長、ポンプ係大学一年生の有谷信之介さん

 

西海捕鯨盛んな時代に

生まれた演し物

万屋町がくんちで初めて『鯨の潮吹き』を奉納したのは1778年。今からおよそ250年前のことです。これは町内の旅籠に逗留していた客の薦めによるもので、彼の名は三代目中尾甚六。唐津呼子浦の鯨組の頭で、西海捕鯨で巨万の富を築いた呼子・中尾家の当主でした。当時は今の佐賀県唐津市付近から長崎県平戸、五島列島にかけての海域で古式捕鯨が盛んに行われた時代で、万屋町の『鯨の潮吹き』は大変な評判を呼んだといいます。

親爺船の大船頭は声変わりする前の男子が務めます。「今回の大船頭は小学5年生。本当によく声が通ります」とくんち奉賛会・吉田徹会長。


 

古式捕鯨を

ストーリー仕立てにして再現

『鯨の潮吹き』は古式捕鯨の模様を再現したものです。最初、囃子の子どもたちを乗せて鯨を解体する納屋が登場。続いて船団を指揮する「親爺船(おやじぶね)」、鯨を仕留める「羽差船(はさしぶね)」、獲れた鯨を陸まで運ぶ「持双船(もっそうぶね)」の大船団が現れて踊り馬場を所狭しと埋め尽くします。子ども演じる親爺船の大船頭の甲高い掛け声による祝い唄に続き、鯨の曳き回しが始まります。最終日には鯨に網がかけられ、納屋の屋根には綿雪を積もらせて漁期の冬を表現する演出も。

 

観覧の際は、

ポンプ係にも拍手喝采を!

『鯨の潮吹き』の最大の演出といえば、もちろん潮吹きです。鯨が前進・回転するたびに勢いよく潮を吹き上げて観衆を沸かせます。実は、鯨の中にはポンプ係が2名。1回の演技に持ち込む水はタンク250リットル+ポリタンク10個分。外が全く見えない中、鯨の動きを頼りに潮吹きのタイミングを計ります。この潮吹きの種明かしは昭和52年まで長きにわたって御法度だったそうですが、今ではマスコミでも広く報じられ、陰の立役者にもスポットライトが当たるようになりました。

鯨が前進・回転するたびに勢いよく潮が吹き上がります。


 

長崎の食文化を語るのに

鯨は欠かせない

長崎の街を歩くと、今でも鯨専門店の看板をよく見か けます。万屋通り町会の藤野為信会長によると「戦後 は肉より安かったので長崎の人はよく鯨を食べました。 特に腸など内臓は珍味として好まれています。今でも 長崎をはじめ呼子、平戸生月、五島列島には鯨の食文化が 残っているんですよ」と。というわけで、『鯨の潮吹き』 は『龍踊(じゃおどり)』や『阿蘭陀万歳』などと共に まさに長崎らしい、長崎ならではの演し物のひとつと 言えます。